考えたこと。
2008 年 7 月 17 日 — ayami桔梗、大好きな花です。花言葉は「変わらぬ愛」「気品」「誠実」だそうです◎
夢って、とても曖昧なものですよね。
眠っている間に見る夢でなく、これからの自分の在り方を考える夢です。
わたしはわかりやすく文章を書くのが苦手なのですが、
今日感じた自分でもよくわかっていないことを文にしたら、
自分の中で繋がるんじゃないかと、
読んでくださる方にははなはだ申し訳ないことになりそうですが、
戯言とお付き合いくださればと思います。
役者は自分のリスクと戦わなくてはならないと教えられました。
リスクというのは抽象的ですが、人にはそれぞれの生きるリズムがあります。
それはとても心地いいものです。
が例えばある役を演じるとき、同じ自分のリズムで演じていると結果、そこには
いつものリズムでしか動いていない自分しかいなくなってしまうのです。
でも、まさかその役が自分なはずはありません。
ですから役者は自分でそのリズムを壊さなければならないというのです。
これはとてもとても怖いことです。
怖くてわたしはその時壊すことができませんでした。
だってそれは、人間誰しもが生きていくうえで持っているバリケードのようなものを
自分の手で壊さなければならないということですもの。
自分以外誰にも、例え家族にだって見せたくない、
芯の芯の自分を表に出さなくてはならないなんて。
そしてそれを相手に向かってぶつけなければならないというのです。
動物は自らが負った傷を隠そうとします。
なぜならそうしなければ自然界で生きていけないからです。
人間にもメンタルの部分でおなじようなことが起こります。
心理学的にも、本当に思い出したくないことは記憶が薄れるんだそうです。
なぜならそれを思い出したら、自分が崩壊してしまうから。
だから脳が本能的に忘れさせてくれるのだそうです。
みなさんもこういったこと、あるんじゃないでしょうか?
わたしはあります。
記憶がすっぽりと抜けていること。
ではなぜ、その覆い隠してきた傷口を自らほじくり返さなければならないのか。
それは俳優というのは自らの体を使って何かを表現する人のことをいうからだそうです。
「俳優は人間よりも人間でなければならない」
普段わたしたちが生活しているうえで、わたしたちは多少なりとも自分を装っています。
それはまぁ、当たり前といえば当たり前のことですよね。
でも俳優である以上は常に装った自分でいてはだめなんです。
生の人間を表現するのですから、生の自分から出発しないと何も生まれません。
じゃないと、「その役っぽい」ということにしかなりません。
装った自分の上にさらに覆いかぶせても、
その役は決して生きることはないのです。
そして、そうしなければみている人を感動させることは出来ないのです。
見ている人が感動するのは、そこに生の人間が生きているからなんだそうです。
自分の全身全霊をかけるということ。
これだけ書いて、やっとすこぉし、自分の中でまとまった気がします。
自己満足になってしまいましたm(_;)m
でもまだまだなので、続編があります^^;
とりあえず、今日のところは…。
どうもありがとうございますm(_ _)m!
*あやみ*

2008 年 7 月 17 日 at 11:28 PM
この間はどうもありがとう!
楽しかったよ^^
ブログちょくちょく見に来ますのでよろしく。。